いまさらだが、日本という国に、生かされている自分自身の運命に感謝している。そりゃ、完璧じゃないけど、この社会の仕組みの中で、平和に健全に暮らしてることを心から喜んでいる。今年の夏は不慮の急性な血糖値異常を発症して、危うく絶命するところだったが、その後無事生還でき、休日に初孫の顔を見に行くだけで、なんだか活力がわいてくるそんな単純だけど、ありがたい日々を味わっているからこそ、そんな風に思える。
だから改めて思う。思想・信条の違いで、あまりにも酷い「罵りあい」がSNSで繰り返されているし、相変わらず、偏向した思想を押し付けるような新聞社や放送局によって、おかしな世論誘導が目に余る。私の中で、もっとも許しがたいのは、実は「我欲にまみれた政治屋たち」が徒党を組んで、日本国憲法の改正に向けた議論を、審議拒否という形で阻止し続けていることだ。
日本国憲法は絶対的な聖典ではない。なのに、それを一言一句たりとも、変更してはならないという「護憲」を御旗にして、正義ぶっているのが上述した「我欲にまみれた政治屋」だし、それを支持する学者や評論家、著名人の中にいる。現在の「日本国憲法」を聖典のごとく、崇め奉り、その一言一句も変えてはならないと大声を張り上げる人々たちが、大好きな第9条にはいかなることがあっても、「武力による威嚇」も「武力の行使」も国際紛争を解決する手段として用いるべきではないとある。だが、それは一方で、日本国民に危害が及ぶような事態が生じたときには、どう向き合うかということについては、記されていない。
いつのころからか、しきりに「多様性」という言葉が地上波テレビでしつこく喧伝されている。ならばそれは、日本国憲法は「聖典」にあらずという、私のような考え方も「多様な価値観」の一つとして、認められていいはずなのに、多くの「護憲」の立場の人には、なぜかそれが通じない。まるで、憲法を改正することが、「国粋主義という危険な思想」かのように猛反対される。
どんなルールであっても、不備や言葉足らずなところを顧み、世の中の価値の多様化も配慮して、改善や見直していくことこそ、柔軟であり、そのルールを運用する人々に寄り添うことに通じる。国民自身がつねに「憲法の改善」をはかっていくことこそが健全な国家のあり方だし、政治家たるものは、その国民の声を真摯に受け止め適正な立法に従事してこそ、彼らの本分を果たす。
「憲法学」という学問をきわめていらっしゃる学者先生の多くにも物申したい。彼らは、私たちが納めた税金をつかって、研究活動をなさっている。国公立私立にかかわらず。学問は理系であろうが、文系であろうがすべて、そこにかかわる社会に住まう私たちにとって、有意義な貢献を果たすためにある。けっして個人の研究心を満たすだけのものではない。
「学問」「アカデミック」という名のもとに成果を上げれば、それにふさわしい社会的な地位や資格、おおくの信頼を得ることができる。それが個人だけではなく社会にも影響をあたえ、そして歴史にもその成果がきざまれ、次の世代にもおおくの遺産をのこしていく。残念ながら、日本国憲法学者の方々の多くは、どうやら、日本国憲法は一言一句たりともいじってはならない経典、聖典という研究文献としてしかみていないように思われる。
日本の国に住まう、私たちのことを学問によって本当に、よい状態に導こうという志が少しでもあるならば、このように矛盾をはらみ、本当の意味での国民の安全をどうやって守るのかということが、この日本国憲法には明確な具体的表現が皆無であるという現実から目を背けることはできないはずだ。私はネトウヨでもお花畑でもない。だからこそ、普通に大きく疑問をもっている。
国の平和と国民の命を守るための法案を審議するのが本来の国会の大命題であるならば、ほんとうに今まさに「平和な生活」を侵害され続けている。北朝鮮がおこなったあの犯罪に目をつむることはできない。まだ多くの被害者のご家族が、被害者の無事な帰国を待ち望んでいても、「拉致」されている状態から「救助」することができないのだ。
憲法学者先生にも、国会の前で、9条を守れとさけぶ人達にも、どうか、思想や信条を超えて真摯にこたえてほしい。この拉致被害者と家族を救うために、どうすればいいのか?
兵士による直接救助活動は、日本には許されていない。警察の特殊部隊を使えばいいというような安易なものではない(バカな政治家にはそういう考えをする者もいる)当然のことながら、自衛隊による救助チームなども絶対に認められない。それは、目の前に明らかに不条理な論理で勝手に隣国にはいりこみ、そこに住む人を老若男女かかわらず、とっつかまえ、船に乗せ、拉致誘拐してしまわれていて、相手の国もそうだと認めている。にもかかわらず、それを救助に行けないのはなぜか?
憲法の前文に、こう書いてあるから仕方ない。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう・・・」 は?
平和を愛する諸国民とはだれなのか?あのような犯罪に手を染め、自国の国益に有利な交渉材料として拉致被害者を利用している、そんな北朝鮮も「平和を愛する諸国民」として、かれらのもっている公正と信義を信用してやって、
波風を立てずにしておけ、とでも読み替えなければならないのか。
は? ありえないだろう! それでも、日本国憲法は、国民の安全を守っている尊い聖典なのか?
そういう「憲法」自体がもつ不備について政治家も憲法学者も、コメンテーターといわれる評論家さんも、もちろん多くのマスコミもきちんと取り上げていないではないか?
あきらかに安寧であるべき日常生活を破壊された同じ国民がいても、その尊大なる憲法は、日本以外の「諸国民の公正と信義」を信じて、おとなしくだまっていれば、世界中が平和になると書いてあるから、これを一言一句解釈もかえず、遵守することが国民の総意であるらしい。
本当にそう思えるのか?胸を張って言えるような憲法なのか?
そして何よりも、拉致被害者家族は何をもって、この状態への不満や不信感を解消しろというのか?
そして具体的に日本はどうすればいいかを導いてほしい。学者先生、シールズさん(笑)、政治屋ではなく、与野党かかわらず、すべての政治家の皆さん、そこのところをどうか真摯にとりくんで、あなた方の行動をおこしてほしい。
今はさまざまな危機の中で日本の国民を守ることについて、きちんとグランドデザインを私たち自身が意識する
必要があると思う。国益のために他国を侵略するような考え方は日本自身にはなくても、他国軍やテロリストたちが
何をしでかすかわからない。
今はそういう突発的に何かが起きるということが20世紀に比べ圧倒的に危険度合いが増しているといっていい。自国以外の「諸国民」を信じて、何もするな、ということを強いる憲法が「国民を守る」尊い聖典なのか?
ほんとうに大多数の日本国民はそれを納得できているのか?むしろ、北朝鮮拉致事件にかかわるすべてのことを、
多くの国民は「他人事」としか思っていない。政治家を筆頭に、憲法学者も、学生も、いい年を超えた大人たちも、
不条理に苦しみ、基本的人権を侵害された被害者と家族への心配りすらできていないし、見て見ぬふりをしている。
あれだけ日本国憲法が絶対のものであるとわめいていながら、その第11条、12条、13条にあからさまに違反している
のではないか。それは個別の事件だから関係ない、などと、どこかの野党の元党首は屁理屈をいいそうだが、ほんとうに「日本国憲法」を思うならば、9条よりも、この3つの条文を思い出すがいい。
そして自分たちがいかに平和な暮らしを享受する一方で、家族を拉致されて安否を気遣うことすらできないでいる
矛盾をなんとも思わない無関心さを恥じるべきだ。
ご都合いい時だけ、9条まもれ、憲法守れ、とさけび、おのれの考えにそぐわないものはくそみそバカ死ね悪魔、非国民、売国奴などとありったけの言葉で罵倒し、指をさし、顔写真を燃やし、国会議事堂内で、人にのしかかったり、どなりあったり、器物を損壊したり、、まったく、できのわるい幼稚園児以下のありさま。
そして私たちは、その様を、嬉しそうに中継する各局の報道番組を見せつけられる。物事の本質をついたマスメディアなど皆無だ。むしろゲリラ的にインターネットなどで、放送配信する志ある人たちのほうが、はるかに拉致被害者にも心遣いをしている。
しつこいようだが、今回の法案には賛成だ。しかし、これが可決されたとしても、日本は決して、戦争したいとも思わないし、戦争できる国だと勘違いすることもない。それは国際法が許さない。それこそ諸国民が許さないからだ。
だが、一方で理不尽な振る舞いをする諸国民までもその公正や信義をおもんぱかって、日本国民はたとえ目の前で
家族がさらわれていても、武力を行使せず、威嚇もせず、放棄しろとある。
完璧な憲法などあるわけがない。国民に危険が及ぼうとするときに、それが天災人災にかかわらず、そして他国からの侵略や破壊テロ行為にかかわらず、ありとあらゆる危険に対応するためにどういう具体策をとるべきかを、国民同士が、どなりあうのではなく本当にわが事として、いっしょに考えては改善していくという、当たり前の社会制度を
導くことこそが、ほんとうの日本国憲法の役割であり存在意義だろう。
だから、集団的自衛権
のことばかりではなくて、
日本国憲法がはらんでいる、
理不尽さ、法としての不備などを
自分たち力でルールに基づいて、
改善を加えていくことが
ほんとうの心ある平和国家を
めざす人の生きざまのように思う。
残念ながら、そういう意味でも
与野党かかわらず、
政治家代議士先生の
能天気ぶりだけが
目立った国会だった。
やっぱり国民のことを
「命がけで」考えているなど
という言葉が先行するような
低い品性をもっていると、
審議を放り出して、
パフォーマンスに終始し、
およそ、コミュニケーションの
お手本とはいえないような
怒号で人を恫喝し、指をさし、
暴力をふるい、大きな音をさせる。
「自民党は死んだ」と
カメラ目線でメッセージを
向けた山本太郎議員の
行為こそ、
おのれが己を自覚せず、
他者への配慮もしない身勝手な
われ関せずの姿勢をむき出しに
しているとはいえないのか?
あのような議場を
世界中にさらすことが、
あなた方政治家の生きざまか?
そして国会前のデモの画像を
交互にインサートし、
いやぁ、やっぱり強行採決と
いわざるを得ないという
ニュースキャスターの薄っぺらさ、
番組制作者のあまっちょろさ、、
すべては表現の自由として
憲法が守ってくれてはいるが、
結局、基本的人権を
踏みにじられている、まさに今、
そういう
人たちにとっては、
見るに堪えない光景だった。
想像力が欠如した者の
無責任な言動が罪深いことを
私たちはすべて、
自分も含めて
内省し、
なんとか改善しなければ
いけない。
そんな大掃除の時が
来たのかもしれない。
しつこく言うが、
私は決して戦争をしたい人間ではない。
もしどうしても、
戦争に行くことを
強制される状況が
将来あるのなら、
服従しない意思をもって
自害するつもりだ。
自分の大切に思う人たちが、
他国の戦闘員から攻撃を受ける
危機が生じたときは、
なんらかの武器をもって、
その危機を回避
する努力をすると思うが、
万が一、それがやむを得ずであっても、
人の命を殺めたならば、
結果として戦いに
勝とうが負けようが
責任をとって、
自害するつもりだ。
ただ、しつこく言うが、
そういうことは
万が一にも起こってほしくない。
決意はしているし、
それに揺らぎはないが、
基本的には何事もなく、
平和な余生を全うできることを
心から願っているのが
ほんとうのところだ。
私は右翼でも左翼でもない。
平和な日々に感謝していたい。